2011年11月。
山田町に行ってきました。




毎回、何か自分にできることはないかなと思い山田町に来るのですが、

いつも町の方からおもてなし、思いやりの心を
教えて頂いてばかりいます。





当時、生き残ることができた数百名の非難した方々を守り、
百名近い亡くなられた方の遺体をその手で運び、
顔を拭いて回られた消防団の大石秀男さんとゆっくりお話しました。





知り合い、家も仕事も、
すべてを流され失っても

笑顔で前向きに歩む大石さんは、
こんなことをおっしゃっていました。


笑顔でがんばっていると、

「どうやって乗り越えたのですか?」

と言われることがある。


本当に乗り越えられていると思う?

大変なことでも明るく話し、
毎日笑顔で乗り越えているように見えるが、

そんなに簡単に
乗り越えられることはない。

泣いていたり、下を向いていたら
思い出したくないことまで思い出すだけだ。

皆、上を向いて
笑顔で乗り越えていくのは、
これから先を見るためだよ。

と、おっしゃっていました。





これから先を見るためには、
笑顔で前を向いてないと
見れないのかもしれないな。


上を向いて笑顔で
乗り越えていくのは、
これから先を見るため。










岩手県山田町で8月から仕事を
再開した人の中に三五十(みごと)という
山田町を代表する料亭があります。



●三五十の大杉さん

3月の津波で立てたばかりの建物は
400メートル流されました。

震災から2日間はバラバラになった
家族を探し続けなんとか無事に再会。





震災から3日目。

まだローンも残っている。
家族も養わなければいけない。

自衛隊もまだ到着していない中、
これから先生きていくために、

流されたお店からまだ使えるものや
備品を取り出そうと決めました。





そう思った矢先
近くの家が出火。

その火は流れついた三五十(みごと)さんの
お店にも燃え広がりました。

今までの思い出も、積み上げてきたものも、
再び立ち上がろうとした希望も、
家族の目の前ですべてが焼き尽くされました。

一度はすべてを諦めそうな
気持ちになりながらも、

自宅の一階部分が津波の被害を受けていましたが
残った二階にあった台所でお弁当をつくり、

避難所にいる地域の人たちのために
数ヶ月に渡り届けに行きました。

8月からは地域にむけてお弁当の販売と
全国であかもくの佃煮(海藻のつくだに)の販売を再開しました。

http://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201109/h1109034.html





三五十の大杉さんに震災から
半年経って感じることをお聞きした話です。





自然は絶対なものだ。

今回人間と自然の圧倒的な力の違いを
改めて知ることになりました。

その自然を人間が完全に
コントロールしようというのは無理。

私たち人間はその絶対なる自然に
寄り添い付き合っていくことしかできない。

自然と人間では比べることができないほど
圧倒的な力の違いがある。

そして、

すべてを流してしまった海ですが、
今までどれだけ多くの恵みを与えてくれていたのか、
自然の恩恵に感謝の念が生まれてきます。
とお話してくれました。


人間と自然では圧倒的な力の違いがあり、
人間は自然に寄り添って生きることしかできない。

自然の恩恵に対しての感謝の気持ち。





僕は普段の生活の中で
そのことを忘れていました。

話を聞きながらなぜか
自然と涙が溢れ出していました。

人間は自然の中で生かされている
だけに過ぎないのかもしれないな。



追伸

8月に僕達が山田町に行った時
17人分のお弁当を三五十さんにお願いしました。

ライトアップ日本が主催する復興の花火を見ながら
三五十さんのおいしいお弁当を食べました。





お弁当代として出した金額に比べて
申し訳ないくらい豪華なお弁当でした。

地元の人の好意で地元のお吸い物である
すらっこ汁、イカのお刺身までいただきました。

一昨日山田町に行った時、
三五十さんに再び会って言われて嬉しかったことがあります。

あのお弁当が仕事として出した始めてのお弁当でした。
いいきっかけになりました。と言っていただけました。

おいしい海の幸のお弁当を
もぐもぐといただいただけなのですが、

それが仕事の活力になったと
喜んでいただきこれもまた胸が熱くなりました。

三五十さんのお弁当は地元でしか食べれませんが、
アカモクの佃煮はニュースでも取り上げられ始めました。

びっくりするくらいおいしい佃煮です。
よかったら食べてみてください。

http://www.shokokai.com/iwate-tokusan/shop-exec/product/0200
※まだ、たくさんの販売が出来る用意が整っていないそうですので、
少しお時間をいただくこともあるかもしれません。





今回の震災を体験して分かったことがある。

と教えていただきました。





それは、

人はいざとなっとき支え合い助けあう。


震災直後、津波で流された家の側を、
頭にタオルを巻いた若い二人組が歩いていた。

彼らは家の金庫を車に載せたり、
銀行のATMを壊そうとしていた。

ある人は自分の食べ物だけは
確保しようとやっきになっていた。


しかし、


被災に合った人の中で
そんな人はほんの一握りだった。

70歳を過ぎたおばあさんが、
寒い避難所で新聞紙一枚引いて寝ていた。

寒いだろうと思って、自分の
持っていた毛布を渡そうとしたら

私よりもっと大変な思いをしている人がいる。
その人に渡してくれと本気で言っていた。

自分の家が流されているのに、
食べ物も自分の持っているものを差し出して、

自分より困っている人を
助けようと皆必死になっていた。

そんな人で溢れていた。

データとか関係ない。
事実それが避難所の姿だった。


人はもっとダメな存在だと思っていた。
人は捨てたもんじゃない。

とおっしゃっていました。



岩手県山田町で牡蠣の養殖業をされている
白野さんという方がいます。

白野さんは29歳で山田町では
一番若い漁師さんです。

家族は無事でしたが、津波で
自宅も仕事場も牡蠣棚も流されました。

震災4日後にお子さんが誕生し、

家族を養うため復興に向けてすぐ作業小屋を建直し、
牡蠣とホタテの養殖準備を始めました。



●牡蠣について話す白野さん

白野さんは言いました。

食えないからといって、
この仕事をやめる気はない。

震災前も24時間牡蠣のことを考え、
土日も関係なく良い牡蠣を出荷することに
命をかけてきた白野さんの牡蠣は絶品です。

震災前、仙台の市場で白野さんの牡蠣は、
予約だけで売れ切れるほど大人気の牡蠣でした。





白野さんのは現在、
仕事場や牡蠣棚を復興させる資金を集めるために、
1口1万円で牡蠣ファンドを作って募集しています。

出荷は4年以内の出荷になりますが、
牡蠣やホタテが好きな方応援してみませんか!
(僕も申し込みました^^)

【牡蠣、ホタテオーナー募集】
http://sanriku-kaki-anzenmaru.jimdo.com/%E3%82%AB%E3%82%AD-%E3%83%9B%E3%82%BF%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E5%8B%9F%E9%9B%86/







●被災時のびはん

津波で町の大半が流されたその日から、
迷うことなくお店再建に向けて動き始め、

8月にはお店をオープン。
町に活気と希望を与えた男がいました。



●8月に再オープンしたびはん

彼の名前は山田町で大型のスーパーを営む、
株式会社びはんコーポレーションの専務

間瀬慶蔵さん。





歳は33歳。僕と同じ学年です。

間瀬さんは3月11日の津波で
自宅とお店が流されました。

間瀬さんが最初にした行動は
家族と従業員の安否確認でした。

そして、

安否が確認できてすぐ、
お店を復興させる為に動き始めました。

お店は柱だけ残して全て流されていました。

お店にあった商品は津波であちこちに散乱。

流されたお店の商品をカゴに拾い集め、
避難所に持って行って皆に配りました。

多くの人がまた津波がきたらどうしようと、
同じ場所での再建を躊躇する中、

間瀬さんは迷うことなく、
同じ場所にスーパーを再建させました。

そして、

自分だけでなくもう一度お店をしたいと
願う人のためにお店の近くにプレハブの商店街を作り
他のお店がオープンできるようにしました。



●被災4日後のびはん

間瀬さんの迷いない勇気ある行動によって、

もう一度再建に向けてがんばろうと、
山田の町は活気を取り戻しつつあります。

そんな間瀬さんにどうして、
すぐに行動に移すことができたのかお聞きました。


その答えは意外なほどシンプルでした。


間瀬さんが行動した理由。

それは、


人生はやるかやらないか。
生き残った人はやるしかない。


この半年間やるしかなかった。
だから、前しか見てなかった。

本当は恐かった。悲しかった。

しかし、目の前のやることが多すぎて、
3ヶ月間は一度も泣くことはなかった。

しかし、3ヶ月後。

後震災前の町の写真を見て
もう町が元に戻らないこと、





失った人が帰らないことを
思い出して初めて涙を流した。





生き残ったらやるしかない。

とおっしゃってました。


今も自分の店だけでなく、
町の復興のために奮闘する間瀬さん。

人生はやるか、やらないか。

実践している間瀬さんの言葉を聞いて、
僕は頷くことしかできませんでした。

僕は生きている。

やるか、やらないか
決断を誤らないようにしたい。






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